2022年10月16日礼拝説教

2022年10月16日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙1章10節~14節 「王なる方を見上げて」


1. 詩篇の引用

詩篇が引用されています。この引用の意図は、主イエスが誰なのかを明らかにすることにあります。この方は救い主であり、この地の基を据えられたこと。天もこの方の御手のわざであること。被造物はすべて滅びるけれど、この方は永遠の存在であること。被造物のすべてを支配されるということ。そのことが語られています。これらの引用は、神が御子イエスに対して「主よ」と語る形式をとっています。神がイエスを「主」といい、そのいのちの永遠性、御子の支配の絶対性を語っています。新約聖書の中で、ここまで明確に御子イエスの「神性」について明言している箇所はありません。


2. イエスが神の御子であることの意味

私たちは、なぜ存在しているのか、何が正しいことなのかという問いへの答えを欲します。主イエスにあって、この世界は創造され、存在しています。またその目的は神の栄光が表されることにあります。イエスに表された神の豊かさ、憐れみ、愛ゆえに、私たちの存在や被造物の存在は肯定され、本来の神の目的と豊かさへと向かう力になることでしょう。私たちに真の王が与えられていることは、私たちが考える以上に大切なことです。しかし、私たちはあまりそのことに目が開かれていません。王なる方が私たちの味方なのです。日々の歩みの中で、この方が私たちの真の王であり、私たちはこの方の民だということを覚えたいと思います。


3. 右の座におられる主

神はイエスを神の右の座に座らせています。イエスが神の右の座に座っておられ、私たちのことをご覧になり、神との間を取り持ってくださっているのです。教会が導かれるのも、信仰者たちが励まされ、勇気づけられるのも、すべて主イエスが神の右の座におられ、その権威を振るっているからです。いかなる現実があったとしても、この事実に私たちは平安と安心を覚えたいと思います。私たちを、この世界と分かつものは、王なる主イエスがともにいること、そして再び来られることを知っているという点にあります。この方が、すべてを御手におさめられ、必ず勝利し、私たちのところへと再び来てくださいます。私たちはその時まで、御使いに、そして多くの証人たちに囲まれて、歩んで行くのです。

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