2022年10月9日礼拝説教

2022年10月9日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙1章4節~9節 「御使いよりもすぐれた方」


1. 御使いの存在

「御使い」という言葉が出てきます。ここで、主イエスは「御使い」たちよりも上であることが明らかにされます。なぜ著者はこの話題を出したのでしょうか。それは、ある人々が「主イエスは御使いよりも重要ではない」と言っていたからにほかなりません。ユダヤ人の中で「御使い」は重要視されていました。旧約聖書にも御使いは登場します。このような御使いの存在は、異邦人たちにも馴染みのあるものでした。この問題は、御使いとイエスのどちらにより権威があるのか、ということです。これは古い律法の基準か新しいキリストの基準か、ということでもあるでしょう。なぜなら御使いがモーセに律法を告げたとユダヤ人は考えていたからです。


2. 聖書が指し示す方

私たちとこの問題には関係がないのでしょうか。そうではありません。私たちも気付かぬうちに、イエスと他のものを天秤にかけていることがあるからです。私たちはどの権威を用いているでしょうか。私たちの土台は主イエスにあることがここで確認されています。ここでは丁寧に、御使いと御子とを旧約聖書を基準にして比べています。主に詩篇が引用されています。これらのことばをもって、人々はメシアを待望していました。そのどれもが、御使いに向けて語られたものではなく、御子に向けて語られているのです。ここでの主張は一貫しています。イエスは神の御子であり、真の王なのです。この方にすべては結びついています。


3. 唯一の主

御使いは、御子ではなく王でもありません。ユダヤ人は、御使いを神と人との間をつなぐ存在として非常に重視していました。それは日本の神や祖先崇拝にも通じるものでしょう。さらに当時の人々は、ローマ皇帝を神の子と呼び崇拝していました。私たちの時代はどうでしょうか。私たちは、主イエスを、唯一の救い主、王である方、神の御子、神と同一にして本質である方としているでしょうか。「御使い」は、あらゆる偶像的なもの、私たちが依存しうるものと取って代わることができるでしょう。しかし、その存在や力を、主イエスと同一とみなすことは決してできません。あらゆる被造物は、この方の前にひれ伏すということを思い返さなくてはなりません。主イエス以外に、私たち教会の主はいないのです。

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