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2022年2月12日礼拝説教

  • mbchurch
  • 2023年2月12日
  • 読了時間: 2分

2023年2月12日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙5章1節~5節 「祭司としての務め」


1. 大祭司

大祭司の職務について語られています。大祭司は神に選ばれています。またその使命は「人々のために神に仕える」ということにあります。大祭司は他の人と同じ人間なので、「弱さ」と「罪」を持っています。だからこそ無知で迷っている人々に優しく接することができるのです。無知とは神を知らないということです。私たちは真の神ではなく、偶像に囲まれています。偶像とは「これさえ手に入れれば、人生に意味を見出すことができる。私には、生きる価値がある、生きていいんだ、生きていてよかった」と心底思わせる何かのことです。しかし、偶像はいのちを与えることはできません。大祭司は人であるがゆえに、自分のためにもささげ物をささげなければなりませんでした。


2. 祭司として召された私たち

Ⅰペテロ2:9には、私たちは「王である祭司」とされた民であるとあります。また私たちは「キリストの使節」であるとも言われています(Ⅱコリント5:20)。私たちは、キリストによって派遣され、また祭司としての務めが与えられています。それは、この地でも神のみこころが行われることをとりなすという務めです。私たちは不思議なように選ばれ、信仰へと導かれ、神と和解し、キリストの使節として遣わされ、祭司としての務めが与えられています。特に日本ではこの務めは必要とされています。


3. 与えられた務め

日本ではほとんどの人が真の神を知りません。また私たち自身も無知でした。だからこそ、私たちも人々に寄り添い、祈りとりなすのです。またキリストがされたように、愛を示していくのです。主イエスご自身も、大祭司となるその栄誉を自分で得たのではありません。それは神ご自身の導きであり、また神の任命でした。「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。」と語られたことばは、私たちにも向けられています。私たちは神の子とされ、祭司として、とりなし手とされています。私たちも互いにとりなし、互いの罪を覆う愛の行為を、主にささげてまいりましょう。

 
 
 

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