2022年4月24日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
ヤコブの手紙 4章5節~10節 「神にともに近づこう」
1. 聖書解釈について
5、6節は難解な箇所として有名です。以前の翻訳と比べると違いは明らかです。解釈のゆれは、旧約聖書の引用がどこまでなのかという問題にあります。また「神が慕っておられる」のか、「御霊が慕っておられる」のか、主語に関しても解釈の余地があります。別の翻訳では「それともあなたがたは、聖書が空しい言葉を語っていると思うのですか。私たちの内に宿った霊が、妬みに燃えるのです。しかし神は、それにまさる恵みを与えてくださいます。」(聖書協会共同訳)となっています。聖書を読むという時に、慎重に丁寧に読みとる必要があることを、ぜひ知っていただきたいと思います。いずれにせよ重要なことは、神は私たちの考えにまさる恵みを与えてくださるということであり、神は高ぶる者ではなく、へりくだる者に恵みを与えてくださるのだということです。
2. 神が求めていること
私たちは普段、神の思いよりも、自分の思いや欲を満たすことを優先してしまいます。それほどまでに、私たちの霊は欲するということをやめません。しかし、その欲が良い方向へと向かうならば、良きことをもたらすことでしょう。だからこそ、みことばは私たちに「へりくだる」ことを求めます。ここで具体的な在り方をヤコブは勧めています。一つは、神に従い、悪魔に対抗するということです。そのためにも私たちは祈りに専心する必要があります。さらにヤコブが勧めるのは「神に近づく」ということでした。
3. 主に近づくということ
神に近づくには、どのようにしたらよいのでしょうか。ここで改めて語られているのは、「きよめる」ということでした。外側も内側もきよめることが求められています。それは神の前で隠し事がないものとなっていくこととも言えます。そしてヤコブは「嘆き、悲しみ、泣け。笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ」と勧めています。これは主の前に罪人であることを認めた者たちの姿です。主はこのようにへりくだったものを、必ず高く上げてくださるのです。私たちは今主に近づこうとしているでしょうか。礼拝は神の前にへりくだり、ともに神に近づく場です。ともに主に近づき続けてまいりましょう。
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