2022年6月19日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
創世記12章5節~9節 「御名を呼び求める者」
1. アブラハムと神
アブラハムは神を信じて一歩踏み出しました。すぐに目的の地カナンに到達します。そこで神の約束はすぐに実現したのでしょうか。そうではありませんでした。その地にはカナン人がすでにいたのです。神はここで再びアブラハムに語られました。そして彼はそこに祭壇を築きます。ここに礼拝者としてのアブラハムの姿が見えてきます。彼は目には見えずとも、今生きておられる神に礼拝をささげたのです。
2. 祭壇と祈り
彼はその後ベテルの東に移動をしました。そこでも彼は祭壇を築きます。しかし、ここでは声は聞こえませんでした。さらにアブラハムはネゲブの方へと旅を続けました。アブラハムはカナンから離れていきます。人生の大きなストーリーを私たちはここで見ています。容易にはいかないのが私たちの人生です。神の約束があったとしても、それが具体的にどうなるのかを見通すことはできません。私たちはそこで神に祈るほかありません。いえ祈ることができるのです。アブラハムはこの後エジプトにまでくだり、そこで過ちを犯します。それでも神はアブラハムを守り続けるのです。それは私たちの姿でもあります。
3. 御名を呼び求めるということ
そのような中アブラハムは神の御名を求め続けます。私たちは神を信じ切ることができません。それでも神は求めるものに必ず応え続けてくださるのです。その経験を通してアブラハムの信仰は練られていきました。人生は「旅」にたとえられます。絶えず変化し、好むと好まざるとにかかわらず想定外のことが起きます。楽しみもあれば、苦しみもやってきます。しかしそのすべては神がそれぞれに与えてくださった旅路なのです。そして私たちは祭壇を築き、祈ります。それは絶えず神とともにその旅路を歩んでいることの表れなのです。主の御名を呼び求めるのは苦しいからというだけではありません。私たちは旅路の途中で感謝をささげ、また神の導きを求め、そこからさらに歩みを進めていくのです。そして神は私たちの思いをはるかに超えたところへと導いてくださるのです。
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