2022年6月26日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
創世記15章1節~6節 「信仰の力」
1. これらの出来事の後
エジプトでの出来事、甥のロトとの別れ、他部族との抗争。大きな出来事を次々とアブラハムは経験しました。その経験を通して、カナンの地における基盤もでき、アブラハムはこの地である程度の自信を得ていたことでしょう。それらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラハムに臨みました。「恐れるな。」アブラハムの深いところを知っておられる主は、彼の恐れを知っておられました。
2. アブラハムの恐れ
一体何をアブラハムは恐れていたのでしょうか。ここまで神はアブラハムの盾となってくださっていました。彼の恐れは死への恐れでした。彼は主のことばかけに「子がないままで死のうとしています」と訴えます。死は、ただいのちがなくなるというだけではありません。死という終わりは、彼の存在、生涯の意味を失うことを意味していました。それは子どもがいないという問題と結びついていたのです。彼はエリエゼルを跡取りにするべきなのではないかという結論を口にします。彼は「恐れ」を回避するために、自分なりの結論を出しています。神のことばをそのまま信じ切ることができないアブラハムの姿がここにあります。
3. 神を信じる
それは仕方のないことでしょう。私たちは神を信じきることが自分の力ではできないからです。しかしアブラハムはそのまま神の前に自分自身をさらけ出しています。すると主はさらに「あなた自身から生まれ出てくる者が、あなたの跡を継がなければならない」と語られました。神はなおも信仰を求められたのです。ここでアブラハムは外に連れ出されます。そこには満天の星がありました。そして彼は主を信じ、それが彼の義と認められたのです。アブラハムは、目の前にある現実ではなく、神を信じます。信仰は信頼を越えるものです。今は何も見えなくても、神を信じ、神にかけ、神に従う、それが「信仰」です。その信仰は、その人のうちに強い力を生み出すものとなります。その信仰を、神は決して無にはされないのです。
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