2022年8月14日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マルコの福音書2章1節~12節 「ただイエスのもとへ」
1. 大勢の人々
カペナウムにある家でイエスはみことばを教えておられました。大勢の人々がこの家に集まっていました。ここでイエスは癒しを行います。中風の人を癒やすのです。当時その原因は罪にあるとみなされていました。この病の人を何とかしよう、そう思って立ち上がった人々がいました。彼は四人の人に担がれ、屋根の穴からつり降ろされます。イエスの周りを大勢の人が取り囲み、近づくことすらできなかったからです。ここにも罪の秩序が隠れています。イエスのすぐそばにいた人は律法学者たちやある特定の階層の人々でした。病を負った人は、この家の中には入れなかったのです。
2. 人びとの思い
しかし、この四人は、何としてもイエスのところに、この人を連れていきたいと願い、行動に移しました。イエスなら何とかしてくださるという一心です。そのために目の前の障壁を彼らは飛び越えていきました。そして病の人はイエスと出会います。イエスは彼らの信仰を見て、「あなたの罪は赦された」と宣言しました。ところが律法学者たちが反発します。神だけが罪を赦す権威を持っていると考えていたからです。では、いったい誰がこの中風の人を罪に定めたのでしょうか。それは彼ら律法学者たちであり、人々です。けれども、本当に人を罪に定めることのできる方は「神」だけなのです。
3. イエスの力
私たちは抱えた罪を、自らの力や知恵で解決することができないでいます。イエスはこう問いました。「罪は赦された」と言うのと、「起きて、寝床をたたんで歩け」と言うのと、どちらが易しいか。この問いはどちらを選んでも難しいものです。イエスは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために」と言って、中風の人に「起きなさい」と命じます。すると彼は癒されました。イエスは、自分には罪を赦す権威と力があるということ、そして、それは神に等しいものだということを、ここに示されました。イエスは、私たちの最も重い病である「罪」を赦し、そこから立ち上がり、新しく歩んで行くように望まれ、そしてその力を与えてくださる方です。彼らは「イエスにはできる」と信じました。私たちもともに、この方への信仰を告白してまいりましょう。
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