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2022年8月7日礼拝説教

2022年8月7日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マルコの福音書1章40節~44節 「イエスの望み」


1. キリスト教信仰

イエスへの信仰は、私たちの内側から変革を起こす力を持っています。その影響が周囲へと及び、神の国の希望が広がり、やがて神の国へと到達する、それが福音の見取り図です。ところが私たちは、このような意識を持って信仰を捉えていないことがあります。信仰を何かの規則や罰則、またご利益や罰のようにとらえてしまいがちです。しかしこの信仰は、真の人間性、健全な生き方と人間関係、人格の成熟、そのようなことと深く係わるものです。イエスが言われたように、信仰を持つ時私たちは新しく生まれます。その新しいいのちは、神のことばを聞き、学び、そして成長するのです。


2. ツァラアトに冒された人

「ツァラアト」と呼ばれる病が聖書の時代にどう扱われてきたのかを理解することが重要です。これは「汚れ」として扱われ、祭司によって清めが確認されなくてはなりませんでした。何よりも病の原因は、人の罪に対する神の怒りの結果とされていたのです。これは律法に基づいて扱われましたが、そこから差別、そして排除ということへとつながっていきました。そのような境遇にあったある人がイエスのもとに来ました。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」と彼は願い出ました。するとイエスは深くあわれみ、彼に触れ、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われたのです。圧倒的な権威と力を持って、イエスは汚れと罪をきよめ、病を癒やされたのです。


3. イエスのメッセージ

このことによって、イエスには圧倒的な権威と力があることが示されました。イエスは真の王であり、人々を苦しみから救い、自由と平和、そして望みへと導く方なのです。イエスは私たちの罪の責任を負うために、十字架に架かり、世界を贖ってくださいました。それゆえ私たちに、以前のようには歩まないようにと教えられるのです。イエスは彼に、癒され、赦されたことを、口にしないようにと言われました。次に自分を祭司に見せるようにと命じ、さらに宮でささげ物をするようにと告げました。以前はできなかったことが、今はできるのです。ここにイエスの望みが込められています。ただ病の人が癒され、そして普段の生活に戻ったというだけではありません。その人に起こった変革を証しするために、イエスは彼を人々の中に送り返され、その存在をもって証しをするようにしたのです。それでは私たちに、イエスは何を望まれているのでしょうか。

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