2022年9月18日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マルコの福音書4章35節~41節 「さあ向こう岸へ」
1. 私と教会
教会はあってもなくても良いというものではありません。その教会を形成するのは、私たち一人一人です。それはまるで船に乗り合わせているかのようです。私たちは、ともに船に乗り込み、ともに向こう岸へと渡ろうとしています。船のために私たちがいるのではありません。向こう岸へと渡るために船があるのです。教会のためにあなたがいるのではありません。あなたのために教会があるのです。この箇所は私たちそのものなのです。
2. 向こう岸へ
聖書において「海」はそこから自分たちを脅かすものや、怪物がやってくる危険な場所という認識があります。夕方になってイエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われました。夕方ではない方が安全です。しかし、不確かな未来、思いもよらぬ出来事が待っているかのような未来に向けて、彼らは船出したのです。日は暮れ、激しい突風が起き、嵐になります。波が押し寄せ、船の中は水でいっぱいになってしまいました。彼らは死の恐怖におののいています。その時イエスはどうされていたのでしょうか。イエスは船尾で枕をして眠っておられました。たまらず弟子たちはイエスを起こし、「私たちが死んでも、かまわないのですか」とイエスに訴えました。
3. イエスとともに
するとイエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われました。すると風はやみ、すっかり凪になったのです。これは弟子たち一人一人へのレッスンであると同時に、教会に向けて語られてもいます。イエスは驚く弟子たちに言われました。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」目の前で嵐がおき、大波が船に押し寄せ、水が船底にたまり、自分たちでは制御できない、そんな状況で恐れないわけがありません。けれども、そこにはイエスがおられました。イエスはすべてをご存知の上で、「向こう岸へ渡ろう」と語られました。教会に対してもイエスは同じように語り掛けておられます。その時に、主イエスが求めておられるのは何でしょうか。イエスとともに、私たちも向こう岸へと渡らせていただきましょう。
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