2023年12月10日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書1章18節~25節 「インマヌエルと呼ばれる方」
1. ヨセフ
マタイにおけるキリストの降誕の証言者はヨセフです。ダビデの末裔としてヨセフは登場します。しかし、彼はその地位にすでになく、ナザレの大工として生計を立てていました。彼はマリアとの結婚を予定していました。この時代、メシア待望論が数多く起こっていました。人々は、ダビデの再来、力によって自分たちを解放してくれる王を求めていました。しかし、そこに登場したのがイエスです。イエスは、ダビデの家系にあるということを、マタイは初めに書き記しています。けれども、それは驚くべき内容を含んでいました。実はこの方は、直接にヨセフと血がつながっていないという事実です。
2. イエスの誕生
マリアはヨセフと婚約していました。その婚約の時期、二人がまだ一緒にならないうちに、マリアが身ごもっていることが判明します。これはこの時代、文化において大事件でした。しかし、マリアの証言は「聖霊によって身ごもっている」ということでした。それが婚約者であるヨセフにも伝えられました。ヨセフは、マリアをさらし者にしたくないと考え、ひそかに離縁をしようとします。彼は、縁を切る理由を公にせずに、離縁の理由を自分の側にあることにしようとしたのです。しかし、その時に主の使いが彼の夢に現れました。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」彼にも神は「その子は、聖霊による」と告げました。彼はこの御使いのことばを受け止めます。彼は、旧約聖書のみことばが、御使いのことばどおりであることを思い返したことでしょう。そのようにして、ヨセフは目の前に起きた出来事を受け止めたのでした。
3. インマヌエル
ヨセフの中で確かなことは、主の御手がのばされ、インマヌエルと呼ばれる方が来られるということでした。処女降誕は、キリスト教において最も信じがたい出来事です。それはいつの時代でも受け入れがたいものです。しかし、このことを救い主の始まりの出来事として、聖書は私たちに啓示します。それは私たちを救う神の御手が、この歴史に介入をした出来事だからです。そしてそれは、名もない信仰者たちを通してなされたものでした。私たちの信仰の始まり。そこでも同じことが求められます。私たちも神のことばとイエスを信じるのです。その時に、神が私たちとともにおられる方であることを、私たちも知っていくのです。
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