2023年12月3日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書1章1節~17節 「神の御手の現れ」
1. 系図
マタイの福音書の冒頭に記されているのは系図です。私たちにはなじみのない名前が多くあります。しかし、これは意義深いものです。それが意味するところは「神のご計画とその確かさ」ということでしょう。またここに示されているのは「人の神への応答と神の選びの不思議さ」です。この系図は、イエス・キリストの系図とされています。アブラハムから始まり、さらにダビデの子とあります。それは、ユダヤの王家の家系であるということであり、神の選びによる特別な導きによって、ということを意味しています。この系図は、14 代ごとに区切って3 つに部分に分けて書かれています。救い主イエスの誕生の良き知らせが、歴史に介在し、御手をのばされた神の御業として証言されている、それがこの系図なのです。
2. 女性の名前
系図は通常、父親の名前で構成されますが、ここに数名の女性の名前が意図的に記されています。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻、そしてイエスの母マリア。彼女たちの名前とそれにまつわる出来事が思い起こされます。普通は系図にわざわざ記さないような出来事です。この後、明らかにされますが、イエスは聖霊によって身ごもったと明かされることになります。つまり、イエスは、ダビデの家系に生まれることになりますが、血としてはダビデの末裔のヨセフとはつながりがありません。系図としては不完全なようにも思えます。しかし、ここにメッセージが込められています。それは、人の知恵や罪のさらに上にある力強い神の御手の存在です。そして、神に信頼する者たちの姿がそこに重なります。それがこの系図に刻みこまれているのです。
3. 系図の語ること
この系図が語っているのは、はっきりと歴史に介入された神の御手です。神の御手は、誰もが考え付かない方法で、そして私たちの正しさや思惑を超えたところで実現します。私たちは、今も答えの出ない出来事に直面します。何よりも人の罪の現実を目の当たりにします。しかし、それでも聖書は、私たちに神にある救いがあることを語り続けるのです。この系図は、神の御手が差し伸べられた確かな痕跡であり、また神を信じることへの招きでもあります。新しいいのちに生きる人は、血によって生まれるのではありません。また人の意志によってでも、人の力によるものでもありません。ただ神によって生まれるのです。
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