2023年3月5日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
へブル人への手紙6章1節~8節 「成熟を目指して」
1. 成熟を目指して
「成熟」とは、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するとパウロが語ったことでしょう。私たちは「キリスト」を表わせているでしょうか。そのことを考える時に、「神のかたち」という言葉に私たちは戻る必要があります。なぜならキリストは完成した神のかたちだからです。私たちは神のかたちに創造されました。この地を満たし、治め、愛し、喜びを神と分かち合う、そのような姿です。聖書は、この神のかたちを崩してしまう人の「罪」を告発していますが、イエスを通して与えられた望みは、神のかたちの回復、成熟、完成にあります。それは決して現世を軽んじたり、疎んだりすることではありません。むしろ、この世界を愛し、そこにある罪に痛み、それでもキリストにある救いと望みをもってこの先へと進んで行くことなのです。
2. 初歩の教え
キリストについての初歩の教えについて、具体的なことが挙げられています。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式…それが基礎的なことがらです。死んだ行いとは、律法的な行い、または偶像礼拝を指すのでしょう。信仰を持ち、告白し、洗礼を受け、祈られる、そのような姿がここに見られます。また死者の復活と永遠のさばきとは、イエスの来臨、神の国の到来を意味しています。これはキリスト者の望みであり、ゴールです。今の教会と異なるでしょうか?天地を創造した神を信じ、イエスを救い主、わが主と告白し、バプテスマを受け、祈られる…おそらく大きな違いはあまりないでしょう。そこから私たちがさらにその先へと進むことを神は望まれています。
3. 後戻りせずに
一度、救いを知り、従い始めたにも関わらず、そこから離れてしまうならば、そういう人たちをもう一度立ち返らせることはできないという、厳しいことばが語られています。この警告は、脱落した人はもう救われることはないというよりも、むしろ、せっかく救われたのだから、後戻りすることなんてナンセンスであり、神のみこころではないことを、危機感をもって伝えています。私たちは、神のみ思いを優先することを学ばねばなりません。それは、神が願っている在り方を通して、神のすばらしさを、その美しさと栄光を、わずかにでもあらわすことです。そのためにも、キリストの示す愛、十字架の愛を受け取り続けていかなくてはなりません。私たちは神の愛を受け取り、そしてこの愛に生きる者たちとされてまいりましょう。
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