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2023年4月16日礼拝説教

2023年4月16日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙7章23節~28節 「永遠のとりなし」


1. 神に近づく歩み

ここでは、イエスの永遠性について触れています。この方は永遠なる方なのです。人間の祭司は死があるので、その務めにとどまることはできません。しかし、イエスは死に打ち勝ち、永遠に存在され、変わることがない祭司職についておられます。それゆえに、イエスはいつも私たちのためにとりなし続けてくださるのです。私たちは日々神に近づいています。それは「死」に向かっていると言い換えてもいいでしょう。キリストによって復活のいのちが私たちに与えられました。それゆえに死への歩みは、神に近くされていく歩みとなったと言えるのです。


2. 永遠のとりなし

神に近づく人々を大祭司イエスは完全に救うことができます。完全は永遠と訳される言葉です。主イエスは永続的に私たちを救うことができます。主イエスによって「永遠」への道が開かれました。この永遠は生き生きとしたいのちに結びついています。それは神が私たちと永遠にともに歩んでくださるという言葉でもあるのです。私たちのいのちが、イエスによって贖われ、執り成され続けています。私たちの生涯に神は関心を持たれています。それは裁くためでも、罰するためでもありません。私たちを通して、神がご自分のみこころを表わそうとされているのです。そのために、主イエスは十字架に架かり、神の愛を示されました。あなたが神とともに悩み、祈り、そしてともに喜び、ともに歩むことを、神は切に望まれているのです。


3. 永遠に完全な者とされた御子

イエスは、他の大祭司のように、自分の罪のため、また民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。イエスは完全ないけにえであるご自分を十字架でささげられたからです。イエスのとりなしがあるからこそ、この世界は保たれています。どこまでいっても私たちには弱さと罪がつきまといます。律法の時代では、弱さを持つ人を立てざるを得ませんでした。しかし、今は永遠に完全な者とされた主イエスが立てられています。この大祭司がいつもとりなしておられるからこそ、私たちは安心して与えられた使命を果たしていくことができるのです。主イエスは、いつも生きておられとりなしてくださいます。永遠に私たちに仕えてくださるのです。

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