2023年4月9日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
へブル人への手紙7章20節~25節 「いつも生きている主」
1. イースター
今日はイースターです。日曜日ごとに教会は「主イエスはよみがえられた」と告白をしてきました。人類の歴史の中で大いなる転換点を迎えた日、それがイースターです。それは死がいのちへと逆転した転換点です。アダムによって罪と死がこの世界に入って来たように、イエス・キリストによって、私たちに罪の赦しといのちがもたらされました。そしてイエスの復活を合図として、神の国が必ず到来することが確定的な出来事になったのです。それは世界の創造の業の完成でもあります。いまだに様々な苦しみや悩み、痛みや弱さが、この世界には満ち溢れています。しかし、そのどれもが主イエスにあって逆転をしていくのです。
2. はざまの時
キリストは「初穂」となられました。「イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります」とあります。イエスは死からよみがえり、天にのぼり、神の右に今もおられます。この手紙で繰り返されているのは、大祭司イエスによって、私たちは今この時もとりなされているということです。「救い」には時間軸があります。信じて救われることは、点としてまず受けとめられます。しかし、救いはさらにその先へと続きます。それは救いが完成するという「将来の時」です。その時は、イエスが再び来られる時として語られています。またそれは神の国の到来の時なのです。その「はざま」を、私たちは生きているのです。
3. 生きる希望
パウロははざまの時を「今の時の苦難」「待ち望んでいる時」だと語っています。イースターははざまの時の希望です。主イエスは十字架にかかり、そしてよみがえられ、私たちの初穂となられました。これは「死ぬことは怖くない」というメッセージではありません。最も恐ろしいことは、私たちのいのちが、ただ死という終わりに向かってしまうということです。キリストの復活は、私たちのいのちが死のむなしさの中で終わらないという証です。私たちの罪が贖われ、神に向かってまっすぐに生きることができるという希望がここにあります。それは神とともに生きることへのエールでもあるのです。パウロは「生きることはキリスト」と語っています。それは、これからを生きることへの全面的な肯定です。イエスはいつも生きておられます。この言葉を私たちの希望としてまいりましょう。
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