2024年10月6日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書9章1節~8節 「罪は赦された」
1. マタイのフォーカス
ここでは、さらにイエスの持つ「権威」について踏み込んでいます。並行箇所と比べると、マタイには他の福音書との決定的な違いがあることに気が付きます。他の箇所で心に残るのは、屋根を剥がすほどの4 人の信仰です。しかし、マタイは、彼らのことには詳細に触れず、起きた出来事、特に律法学者たちとのやり取りにフォーカスを当てていることが分かります。
2. イエスの権威
律法学者たちは、心の中で「この人は神を冒涜している」と言いました。それは、イエスが語った「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」という言葉のインパクトの強さからでした。イエスは、病気を癒すよりも前に、「あなたの罪は赦された」と宣言されました。通常は、病が癒された人の状態を祭司たちが調べ判定をします。「この人の病は癒され、きよめられた。」そして、その結果「神がこの人の罪を赦してくださった」と受け止めます。しかし、イエスが語ったのはそうではありませんでした。イエスは「あなたの罪は赦された」と宣言をしました。イエスの持つ権威は、「罪」を赦す権威なのです。
3. 罪について
私たちはすべて罪と罪責を持って生まれたと聖書は教えます。しかし、私たちはそのことを理解せず、受け止められません。罪は私たちに「死」を招きます。真の神との断絶が私たちの存在や被造物世界に死をもたらすのです。聖書の教える罪、それは第一に神との関係についてです。神を神としないことを、聖書は罪として語るのです。
4. 赦しの宣言
イエスは病の、悲惨さのその根源にある「罪」を赦されます。イエスはその権威があることを、病を癒すことによって示します。ここにはっきりと奇跡の意味が示されています。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがた知るため。」この宣言は永遠へと続く宣言です。私たちと神との関係は、キリストによって新しいものへと変えられます。この罪の赦しの宣言は、今も響き渡っているのです。
Comentarios