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2024年11月17日礼拝説教

2024年11月17日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書9章37~10章15節 「収穫の主」

 

1. 収穫は多い

「収穫」とは何でしょうか。それは「癒された人」のことでしょう。「癒し」を聖書的な意味を加えて読むならば、罪が赦され、罪人が救われるということになります。35、36節に、収穫をされるイエスの姿があります。「群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。」羊飼いのいない羊たちをもとへと連れ戻す、それも「収穫」であることが分かります。その働き手とはどのような人でしょうか。それは「癒し手」であり、「神の国の福音を伝える者」であり、「羊飼いへと導く者」のことなのです。

 

2. 12弟子の派遣

イエスは12弟子を派遣します。イエスは彼らに「汚れた霊どもを制する権威」を与えました。私たちの最も大きな問題が、「罪」であることを聖書は教えています。悪霊を追い出すことは罪の支配からの解放を意味します。あなたは罪の支配のもと歩んで行くのか、それとも自由とされた人として歩んで行くのか。信仰はそこに関わる問題なのです。彼らは「使徒」として、まずイスラエルに遣わされました。それは旧約聖書からつながる神の御手の順序を示しています。キリストの十字架の後、全世界に福音は広がっていきます。

 

3. 神の前の決断

イエスは弟子たちに、イエスが人々に与えてきたこと全てを彼らが行うようにと命じました。そして、それを金もうけではなく、恵みとして与えるように命じています。彼らの姿は教会の宣教の原型です。そして、彼らが町や村でどのように受け入れられるのか、また応答の仕方が教えられています。もし、彼らを受け入れないのなら、その時は、足のちりを払い落とすようにと言われています。それは、自分とは関係がないことを示す行為でした。福音を受け入れる人もいれば、拒絶する人もいました。それは、信仰は押し付けるものではなく、話を聞いた人に決断は委ねられているということを示しています。聖書が語られるということは、悩み、道を求める、その心に神が語ってくださることなのです。神は、あなたの心の深いところを見ておられ、語り掛けておられるのです。

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