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2024年11月3日礼拝説教

2024年11月3日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書9章18~26節 「信仰によって」

 

1. 会堂司

ここには二つの流れがあります。一つは「会堂司」の話。もう一つは「十二年の間、長血をわずらっている女の人」の話です。会堂司はユダヤ人たちの集うシナゴーグを司る人です。会堂司は主に礼拝を取り仕切り、多くは会堂建設の中心的な役割を担った人でした。彼らは町の重要人物であり、大きな信頼と権限を持つ人でした。一人の会堂司がイエスの前にやってきます。緊急事態のようでした。彼はイエスの前にひれ伏します。それは普段は見かけない光景でした。彼の娘が死に、イエスに手を置いてくださいと懇願したのです。このようなことは当時の常識では考えられないことでした。

 

2. 長血をわずらった女性

すると、そこに一人の女性が介入してきます。彼女はその病のゆえに差別的な扱いをされていました。彼女は罪人とみなされ、彼女には触れてはいけないと考えられていました。そこで彼女は、隠れて後ろからイエスに触れようとします。彼女はイエスの衣に触れました。そしてイエスは彼女に「しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」と告げられたのです。すると彼女は癒やされました。

 

3. 信仰によって

聖書において、正しい神理解と神への信頼、さらに救い主としてのイエスへの信頼、それが「信仰」として語られています。信仰は、心だけの問題ではなく、行動にまでつながるものであり、それが神の救いを受けるトリガーであることが分かります。信仰は、神の応答を待つということでは非常に受け身的です。しかし、神とイエスに信頼し、身も心も委ねるということにおいては、とても能動的なものです。この場面でも、二人は、イエスに対してできうる限りの行動をとりました。会堂司は、常識や地位、そして特権を捨てて、イエスの前にひれ伏しました。女性は人前に出ることはできませんでしたが、彼女のできる精一杯のことをしました。それが、彼らの信仰を表しています。信じるというのは、思うことだけには留まりません。信仰を告白し、祈り、ともに語り、ともに交わる、そのことを通して、私たちは神を信仰するのです。この信仰によって、私たちも新たないのちに生きることになるのです。

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