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2024年12月15日礼拝説教

2024年12月15日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

イザヤ書9章6~7節「平和の主」

 

1. 平和の君

イエス・キリストは平和の君と呼ばれます。イザヤ書に救い主は「平和の君」と呼ばれることが預言されています。イエスは「あなたの敵を愛しなさい」と教えられました。またイエスは十字架の前に自分を捕えに来た人々に対して「剣を取る者はみな剣で滅びます」と語りました。しかし、「平和の君」の意味はそれだけではありません。聖書において平和を考えるときにまず取り上げなくてはならないことは「神との平和」です。人は神との関係を自らの手で壊し、身勝手に歩んでしまいました。それは「罪」として語られています。しかし、イエスによって神と人との間に平和がもたらされました。

 

2. 神との平和

神はあなたを愛しておられ、大切に考えておられる、その姿をイエスは示しました。そして、神との間にある罪を贖い、その関係を正しいものにされました。それゆえに神との平和がもたらされたのです。神との平和は、「私」という狭い範囲を超えていきます。周囲にその愛の関係は広がっていきます。神に赦された者たちが、今度は他の人を赦すものとなっていくのです。イエスは、神に赦された者として、人を赦すものになりなさいと教えています。私たちの罪が赦されていることには意味があるのです。

 

3. 自分を赦す

さらに、私たちは「自分を赦す」ことを学ばなくてはなりません。それは神が赦された自分を受け入れるということです。足りなさや欠けがあっても、またこれまでの過ちも、すべてキリストにあって赦される、そのことを信じ、受け入れること、それが自分を赦すということです。そして、それは神の恵みをより深く知ることでもあるでしょう。私たちは、まず罪ある私を赦し、神との平和が与えられていることを覚えましょう。そして、神がイエスを遣わしたように、今度は私たちが赦すものとして遣わされていることを覚え、ともに歩んでいきましょう。

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