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2024年12月8日礼拝説教

2024年12月8日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マルコの福音書10章17~27節 「憐れみの主」

 

1. 一人の青年

彼の目の前にイエスがやってきました。そこには大勢の人がすでに来ています。すると一人の青年が、イエスの目の前に出てきてひざまずき質問をしました。彼はいかにも育ちのよい、誰が見ても立派な人物でした。「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」彼は誰がみてもうらやむ、すべて持っている人でした。彼は地位も名誉も財産も、すべてを手にしていました。その彼がイエスに教えを希ったのです。

 

2. イエスとのやり取り

「良い先生」と彼は切り出しました。しかし、イエスは彼に答えます。「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。」さらにイエスは十戒を引用して逆に質問します。すると彼は「それらすべてを守ってきました」と答えました。彼が求めたのは「永遠のいのちを受け継ぐこと」でした。彼は後の世にあって、自分の地位が保証されていることを確かにさせたかったのです。彼は救いの確信が欲しくて、イエスの前に出たのではありません。名のある教師に認められることを願いました。するとイエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで「持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい」と言われました。この命令は、彼自身が気付いていなかった自分の姿に目を向けさせる問いでした。彼は富も地位も名誉も育ちすら、すべて自分のものであるかのように考えていました。そして、彼はさらに人からの評価を得ようとしています。このことについて、誰が彼を責めることができるでしょうか。私たちも同じではないでしょうか。イエスは、この青年を愛のまなざしで見つめられました。しかし、彼は顔を曇らせ、悲しみながら立ち去るほかありませんでした。

 

3. 神にはできる

イエスはこのことについて、弟子たちに「人にはできないことが、神にはできる」と教えました。人が人を罪や死から救いだすことはできません。人は永遠を保証することはできないのです。しかし、神にはできます。イエスは神の子であり、救い主なのです。この青年は後に十字架を知ることになります。イエスのあのまなざしと厳しい問いかけを彼は生涯忘れることはできなかったでしょう。私たちにもイエスは問われています。あなたが神以上に信頼しているものは何かと。そして私たちを今招かれているのです。

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