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2024年3月10日礼拝説教

2024年3月10日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書5章13節~16節 「地の塩、世の光」

 

1. 地の塩

塩は少量で良いものです。ここでは「塩気」を保つことの重要性が語られています。塩気とは何でしょうか。ここで強調されていることは、一つのことではありません。直前に語られていた幸いな人として生きること、神のみ思いに立って生きる人、神の子として、平和の使者として生きること、そのどれもが当てはまります。つまり、神に立ち返り、神の国の到来に生きる人々の存在こそ地の塩と言えるのです。キリスト者として生きることは、他とは何が決定的に違うのでしょうか。それは、真の神を知り、この方のみこころを第一とし、この方の喜ばれることを求めて生きることにあります。つまり、私たちの最も大切なことが神にあるとすることなのです。

 

2. 世の光

さらにあなたがたは「世の光」であるとイエスは告げます。この世界には、まばゆいばかりの光が数多くあります。しかし、この箇所は私たちこそ世の光であると語ります。私たちのどこが光であるのでしょうか。この時、イエスの周りにいた人々の多くは、普通の民衆であり、また弱さや病を抱えた人々でした。神の祝福を受けているような力ある人、裕福な人、立派な人々も出てきます。しかし、彼らに対して、イエスはその光を輝かせなさい、とは言われませんでした。ここでイエスは「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい」「人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるため」と言われます。それでは「良い行い」とは何でしょうか。当時の良い行いは、律法を守り行うことでした。イエスは良い行いとして、「神を愛すること」そして「隣人を愛すること」を人々に教えます。何よりも、ご自身が十字架にかかることによって、その命を投げ出し、人を赦し、愛されました。これはルールや方法ではありません。神の愛を知り、そして心動かされる姿なのです。

 

3. 私たちは地の塩、世の光

「あなたがたは地の塩、世の光」とイエスは宣言されます。それは神の愛と赦しを受けているからです。今日も、私たちは見上げれば、主の十字架を見ることができます。私たちは十字架を見上げ、神の愛によって光とされている、そのことを日々受け取らせていただきましょう。それは、どれがすばらしい、どれが劣っている、そのような光ではありません。「あなた自身が光とされている」そのことを、主イエスのことばによって信じさせていただきましょう。

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