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2024年3月3日礼拝説教

2024年3月3日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書5章9節~12節 「平和をつくる者たち」

 

1. 平和をつくる者、義のために生きる者

平和と義のために生きる人々は、神のみこころを表す者たちです。神のみこころがそこにあるから、そして、その先に待つのが神の国であるから、私たちは平和と義のために生きるように勧められているのです。しかし、それは大変な道のりです。平和をつくるために何が必要なのでしょうか。憎しみの連鎖はどのようにして断ち切ることができるのでしょうか。イエスは十字架にいたる道を通して答えを示されます。そこに、絶望やあきらめに終わらない私たちの希望があるのです。

 

2. イエスの模範

平和への現実的な対応は単純ではありません。一人ひとりの在り方、生き方、日々の生活において私たちは問われています。そこには神の正しさに生き、その正しさを示すための戦いがあります。それは、時に自分の利益に反することへと向かうことさえあります。ことばだけではなく、行いを通して神の義をイエスは示されました。罪人とみなされた人々と親しく食事をし、交わりを持たれました。そして、罪なき方であったのに、十字架上で自らのいのちを差し出します。それは、神の義を満たすことのできない私たちの身代わりとなるためでした。主イエスは、決して人のいのちを自らの手で奪いませんでした。また、いのちを人の価値観では計られませんでした。私たちは、この方に学び、そして倣い続けなくてはなりません。

 

3. 天の報い

神の義に立とうとすればするほどに、この世界の価値基準とのずれが生じることでしょう。しかし、イエスは「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いだ」「天の報いは大きい」と語るのです。ここに私たちの生き方があります。聖書の語る正しさ、また神の裁きやみ思いを示しながらも、それ以上にキリストが示される赦しと救いを、私たちは示すべきなのです。私たちは、完全に神の義と神の愛の行いを表すことはできないかもしれません。しかし、わずかにでも私たちがささげる時に、そのことを父なる神はご覧になり、天における報いを備えてくださるのです。

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