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2024年3月31日礼拝説教

2024年3月31日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ヨハネの福音書20章1節~10節 「空のままの墓」

 

1. 週の初めの日

週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやってきました。彼女は墓の入り口をふさぐ石が取り除けられているのを見ます。その時の驚きは、喜びからではなく、何が起こったのかわからないという戸惑いと恐れであったことでしょう。イエスの遺体を誰かが運んで行ったしまったのでしょうか。急いで彼女はペテロたちのところへと向かいます。すると、そのことを聞いた弟子たちは、墓に行ってみることにしました。そこには亜麻布だけが置かれ、少し離れたところに頭を包んでいた布が、丸めておいてありました。動かされた石、残された布。それが示していることは、イエスはもうそこにはおられないということでした。

 

2. 見て、信じた弟子たち

この時の心境をヨハネは短いことばではっきりと残しています。「そして見て、信じた。」しかし、こうも記しています。「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。」イエスは、十字架に架かる前に何度か十字架のこと、そして三日の後によみがえるということを語っていました。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせるから。」「それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。」(ヨハネ2章19節、22節)そして、イースターの朝、空の墓を見て彼らは信じたのです。

 

3. すでにある神の御業

しかし、彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していませんでした。私たちも同様です。私たちも、イエスの死と復活をすぐに理解できません。受け止め、理解するのに時間がかかります。しかし、重要なことはもう起きています。「すでにイエスは墓にはおられない。」「イエスはよみがえられた。」この事実が重要です。神の御業は、私たちの思いや考えの前に起きています。十字架も、それに続く復活も、そのすべては神の御業であり、神が先にしてくださったことなのです。御子を信じる者が、なぜ永遠のいのちを持つにいたるのでしょうか。私たちの心にも、身体と同じように血液が流れることが必要です。縛られていることから自由にされ、心満たされ、愛されるということ、それはすべて神の愛から流れてくるものです。それは、イエスの死と復活を通して、私たちの目の前に置かれているのです。

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