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2024年4月28日礼拝説教

2024年4月28日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書6章1節~4節 「隠れたところにおられる神」

 

1. 善行

ここには「善行」、良い行いを人に見せるためにすることへの警告があります。ここでイエスは、「人の目の前で良いことを行わず、隠れたところにおられる神に向かって良いことをしよう。そうすれば、神は良いものを報いとしてくださる」そう教えているのでしょうか。「善行」という言葉には「義」という語が使われています。ユダヤ人は「義人」になろうとしました。それは、ただ人から良い評価を受けたいからではありません。神から、良いものとしての「救い」を得るために義人であることが重要だったからです。それが、ローマからの解放とイスラエルの勝利をもたらすものであるゆえです。

 

2. 義人であること

どのようにして義人を見分けるのでしょうか。義人であるために、分かりやすい基準があった方が実行しやすいでしょう。それは、そのまま人の評価へとつながります。しかし、イエスはここで、善行とその応えとしての「神の救い」、その両者の関係を絶とうとしています、彼らが作り上げたのは口伝の律法であり、人の基準です。しかし、「神の救い」は、人の努力や評価に基づく正しさによるものではありません。「救い」は、神から与えられる完全に一方的な恵みなのです。神は確かに善行を求めています。しかし、それは神に愛され、救われた者として、心からの感謝と喜びから発するものであり、神の愛に応答して生まれるものです。神の愛を受けた者の心のうちに、新しい生き方は生み出されていきます。それは、いつの時代においても「新しい生き方」と言えるものなのです。

 

3. 隠れたところで見ておられる神

本当に神は隠れたところにおられるのでしょうか。聖書によれば、神はすべてであり、すべてにおられ、すべてを知っておられる方です。むしろ、神を隠れたところにおいやっているのは、私たち自身です。「天の父の報い」は、良いことが起きる以上のことです。神の報いは、あの十字架と空の墓によって明らかになりました。あなたの一切の罪を赦し、あなたを神の子とされたのです。私たちが良いことをしたから「神は報いる」のではありません。私たちは神の愛をそのまま信じて良いのです。神は、あなたを子として養い、育て、守り、神のすばらしさを、あなたを通して表してくださる方です。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行うものとならせていただきましょう。

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