2024年5月12日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書6章8節~9節 「主が教えられた祈り」
1. 彼らと同じようにしてはならない
この祈りの直前に「彼らと同じようにしてはいけません」とあります。「彼ら」とは「異邦人」を指していますが、それは真の神を知らない人々のことです。イエスはまずユダヤ人たちに語りかけています。神の民であるユダヤ人でさえ、真の神がどのような方なのかを見失ってしまいます。神のみこころを求めるために祈るのではなく、神に自らの願いや思いを優先して祈っていました。そこには生き生きとした神との関係は失われています。私のすべての必要を知ってくださる神に祈るようにイエスは教えられました。
2. 私たちの天の父
イエスは祈りを具体的に教えられました。その祈りの第一声は「天にいます私たちの父よ」でした。旧約聖書には、神を私たちの「父」と位置付ける箇所がいくつかあります。「天の父よ」と祈るのは、神を父として、親しみを込めて祈りなさいと教えただけではありません。イエスは、救いに導かれた神の民として、神に選ばれた者たちとして、神を「父」と呼びかけて祈るように教えられました。神の愛を知り、神に救われた神の子として、「天の父」と呼びかけるのです。また、私だけではなく、私たちを救われる方、私たちの最善をなさる方を覚えて、私たちの天の父よ、そう祈り始めるのです。神の救いの御業である、主イエスの十字架を知れば知るほど、私たちの中にも、父なる神の姿がはっきりと浮かび上がってきます。この方は、私たちを愛するゆえに、イエスを惜しまず与えてくださる方なのです。
3. 御名が聖とされるように
第一の祈りは「御名が聖なるものとされますように」です。「聖である」とは、取り分けられることを意味しています。この方こそ神であり、この方こそ私たちの望み、全てであると祈るのです。またそれは、神の名が、私たちの中だけではなく、全世界において「聖」となることを祈ることです。これは世界規模の祈りです。なぜなら、今も神の名はこの世界で貶められ続けているからです。特に神の名は私たち人に冠されています。私たちの行動や言動によって、神のすばらしさを表すことができるのです。神の子とされた一人ひとりを通して、主の御名が崇められ、賛美されることこそ、御名が聖とされることです。これは、私たちの感覚や思考を、神から出発することへと連れ戻す祈りなのです。
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