2024年5月26日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書6章10節 「天でも地でも」
1. 第三の祈り
「みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」これを語順どおりに訳すと、「あなたのみこころが行われるように。天におけるように、そして地の上でも。」となります。この祈りにおいて、私たちは「神のみこころ」とは何かということが問われます。それは、神の望まれること、神の喜ばれること、とも言えます。聖書が私たちに与えられたのは、「神のみこころ」を私たちに伝えるためです。しかし、それはルールのように書かれているのではありません。律法は、神の民に神のみこころを示し、徳を建てあげるためのものでした。しかし、それがいつのまにか、神のみこころが抜け落ちて、ただ守るべきことばになってしまったのです。
2. 神のみこころ
新約聖書には、安息日に守ることに関する律法をめぐる緊張関係が描かれています。当時の人々は、安息日を「すべてのことを休む日」としてルール化しました。しかし、神のみこころはそのような単純なものではありません。それは私たちの土台を常に神に置くということであって、善い行いをも止めてしまうことではなかったのです。神のみこころとしての本質がどこにあるのか。その問いを私たちは失ってはなりません。「みこころ」や「神の御思い」と口にするときに、私たちは立ち止まらなくてはなりません。一体、何が神の御思いなのだろうかと思いめぐらす必要があるのです。
3. 神とともに歩むということ
ルカの福音書に「ザアカイ」という取税人が登場します。彼は周囲の人からは蔑まれた人でした。しかし、彼はイエスに出会います。彼はイエスから、最も大事なものを受け取ったのです。そして彼自身の自発的な行動によって、財産を貧しい人へと分け与えました。キリストと出会うということは、いったいどういうことでしょうか。それは私たちの人生、そしていのちのすべてが完全な希望に、完全な救いに包まれるということに他なりません。大切なこと、それは、安心してあなたが神とともに歩むことです。そして、それは、天でみこころがなるように、この地にも神のみこころがなることを、祈り求める歩みとなるのです。
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