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2024年6月30日礼拝説教

2024年6月30日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書6章9~13節 「国と力と栄え」

 

1. 主の祈り

イエス・キリストが私たちに教えてくださった「主の祈り」において、何が祈られていたのでしょうか。「私たちの父」と神に呼びかけることからはじまり、真の神があがめられ、神の国を求め、神のみこころがなることを祈る、そのような言葉が前半にありました。そして「私たちの」という言葉で、日々の糧、罪の赦し、相手を赦し生きること、そして試みと悪からの救いを祈る後半の祈りへと続きます。神を信じるというのは、不思議なことではありません。自分が何者かを知り、そして自分の立ち位置を知ることともいえるでしょう。それは、私たちに生きる意味と力を与えるのです。

 

2. 教会の告白

イエスの教えられた祈りの言葉は「悪からお救いください」までです。ところが、教会で祈る「主の祈り」はここで終わっていません。教会では早い時期に次のことばを加えました。「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」 それは、教えられた祈りへの心からの同意と信仰告白のことばです。そして、これは神への忠誠の言葉です。私たちは、様々なものに無意識のうちに忠誠を誓わされています。しかし聖書は私たちに語ります。あなたは国家や社会よりも前に、「神」のものであると。すぐに私たちはそのことを忘れ、神を抜きにした在り方へと戻ってしまいます。最初にあった大切なものを、私たちはどこかで失ってしまうのです。主の祈りには、私たちに大切なことを取り戻させる力があります。

 

3. 祈りに変えられて

祈りの言葉をかみしめながら、私たちは問われ、教えられます。「私」という狭い枠から、神のみこころを求め、「私たち」と祈る大きな祈りへと導かれます。すべてを御手の中で治め、必ず恵みを与えてくださる神に信頼をすること、罪赦されるとともに、他者を赦す生き方へと進んでゆくこと、悪や誘惑から離れ、忍耐強く正しさに生きること。これらは、すべて主イエスが私たちに教えてくださったものです。私たちは、気がつけば神ではなく、別の神を崇めています。私たちは人の力や、富、権力そのものに救いを求めてしまいます。私たちは神の正しさではなく、自分の基準で物事を見ています。だからこそ、主の祈りを通して日々教えられるのです。私たちは主の祈りをともに祈り続け、「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです」と、神への信頼を告白し続けてまいりましょう。

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