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2024年6月9日礼拝説教

2024年6月9日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書6章12節 「神の赦しと私たちの赦し」

 

1. 負い目をお赦しください。

文語訳では「われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」です。つまり、私たちが他の人の罪を赦すことを条件として、私たちの罪を赦してください、と願っているかのように読むことができます。しかし、原文は、「私たちの負い目を赦してください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦しましたように。」というものです。いずれにせよ、この言葉は「私も赦します」となるのですが、それはいつか未来の出来事ではなく、即座に相手を赦すと読むべきでしょう。この祈りもまた、神のみこころを表しています。

 

2. 赦されているということ

聖書が主イエスを通して語る大切なことは、「あなたを赦す」という神のメッセージです。信仰を持って生きる、神に祈りながら、またみことばに聞きながら生きる…それは同時に、先に赦されたことを知って生きることでもあるのです。あなたのいのちは神のものであり、すでに赦されています。その宣言があるからこそ、私たちはこの先に死があったとしても、究極的な安心をもって歩んで行くことができるのです。この在り方は、私たちの考え方、生き方の基本となります。神の赦しというみこころが、私たちの思いや行いに先行しています。そしてこのことゆえに、人を赦す、その生き方へと結ばれていくのです。まず、自らの罪の赦しを希う、ここが出発点です。そして、この祈りは、即座に答えられます。神に祈れば祈るほど、私たちは絶えず神の赦しに立ち続けることができるのです。あなたは赦され、神の子とされています。この神の赦しを受けた瞬間、私たちは次のことへと導かれるのです。

 

3. 赦す歩みへ

この祈りの中心は「私たちも私たちに負い目のある人たちを赦します」にあります。私たちは、この地において、神の国(神の支配)を意識して生きていくのです。パウロは、私たちはキリストに代わる使節、和解の使者であると語りました。毎日のように、私たちは赦しの恵みを受け、さらに祈らされます。「私たちに負い目のある人たちを赦します。」いつか赦します、ではありません。「赦します」「赦しました」と祈るのです。キリストの十字架によって私たちの罪は、すべて赦されています。ここが私たちキリスト者の出発点です。そして、赦しと憐れみに生きるように、私たちは導かれています。「赦す」その歩みへと、勇気をもって踏み出してまいりましょう。

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