2024年7月21日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書6章25~34節 「今日を生きる勧め」
1. 日々の心配
私たちは、何を食べるか、何を着るか、その心配を日々しています。イエスは「今日は食べ物のことは考えない」「服も気にしない」、そう勧めたのでしょうか。ここで私たちが目をとめるべき言葉は、「自分のいのち」「自分のからだ」という言葉です。私たちの姿と対局にあるものとして、「空の鳥」「野の草」のことが語られています。自由に空を飛び回る鳥。野に咲く色とりどりの野の花。それにひきかえ、私たちはどうでしょうか。なぜ思い悩むのでしょうか。それは、自分のいのちを自分のものだと考えているからにほかなりません。しかし、あなたのいのちは神のものなのです。
2. 天地の創造主
私たちの所有者は誰なのでしょうか。いのちはなぜ与えられたのでしょうか。ここには、ただ自分を喜ばせるためだけに、あなたのいのちを消費してはならない、と語られています。イエスは、もっと自由な、そして自然な在り方を、私たちに教えています。イエスは確かに苦しみを通られました。しかし、イエスは人生における喜びや楽しみを否定したのではありません。神は、この世界を良いものとして造られ、人をご自身のかたちとして創造されたのです。イエスは、人々と飲み、食べることを喜びとされていました。また、ひとり静まるために自然の中に身を置きました。イエスは、この世界が、父なる神の作品であり、神のものであることを誰よりも深く知っておられたのです。イエスは、人として生きる喜びを味わい、その分だけ、人の抱えた痛みや苦しみをも深く経験されたのです。
3. 今日を生きる勧め
この時代に、心配しないようにと語ることは大きなチャレンジです。しかし、キリストは「明日のことを心配しなくてよい。そのことを心配しているのは、異邦人、つまり神がどんな方を知らない人々なのだ」と断言します。あなたがたに必要なものは、天の父も知っておられます。神があなたのことを心配してくださり、必要や願いを、あの空の鳥や野の草のように満たしてくださるとイエスは語られました。あなたは誰のものであるのか、その問いかけと答えがここにあります。そしてキリストご自身が示されたいのちの秘訣が語られます。「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」神が与えてくださった今日も、明日も、神とともに歩む日々なのです。
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