2024年7月7日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書6章14~18節 「隠れたところにおられる方に」
1. 人を赦す
「あなたは神に赦されている」この前提を抜きにしてここを読むことはできません。赦せない、そのような狭さを私たちは持っています。私たちは、誰かから理不尽な扱いを受けるということがあります。会社で、学校で、また家庭の中で、理不尽な扱いを受け、傷つけられます。そんな時、私たちは憤りを感じるでしょう。また、そのうような思いを神に向かっても抱くかもしれません。しかし、聖書は神はあなたの所有者であると語ります。神は愛であり、聖であり、正しい方なのです。神はあなたをただ理不尽には扱う方ではありません。「赦されている」ここが、私たちのスタート地点なのです。
2. 偽善
さらにキリストは「偽善」について語ります。「断食」は当時の良い習慣の一つでした。断食の期間中、神に思いを向け、祈り、また請願しました。その良い行いを、人に見えるように行っていた人がいました。しかし、イエスは、いかにも断食して、熱心に祈っている、そんな顔をあなたがたはしないようにと言います。偽善者たちは、いかにも断食をしているような顔をしており、その行為は神にではなく、人に対してしているものです。しかし、そこに神が求める信仰はないとイエスは教えられました。私たちの目を、「人」に向けるのではなく、まず「神」に向けるべきなのです。
3. 隠れたところにおられる方に
さらにイエスは、断食をしていることを人に悟られないようにしなさいと教えられました。良い行いをあえて人の目から隠すようにと教えられたのです。そこまでするならば、私たちは自由になれるのでしょう。私たちは、神との関係の中で自己を確立していくときに、自由とされたその人自身が確立していくことになります。無理に敬虔さを装わなくてもよいのです。隠れたところにおられる方を意識し、その方にささげていく…そこに本当の自由があります。それは他者に対しても同様です。私たちは見えるところで人を判断することをしてはなりません。そこに立つときに、私たちは、神にある自由さと柔軟さを得るに至るのです。
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