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2024年8月11日礼拝説教

2024年8月11日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書7章13節~23節 「狭い門、細い道」

 

1. イエスの警告

山上の説教の終盤です。この歴史的な説教の終わりは「警告」でとじます。なぜなら、ここからすぐに人々は日常に戻っていくからです。ただ話を聞いて終わりではないのです。「狭い門」「細い道」、その一方で「大きい門」と「広い道」があります。あなたはどちらを行くのか、それがここで問われています。主イエスの勧めは「狭い門」と「細い道」です。しかし、多くの人は、大きな門から入り広い道を歩いていきます。しかし、そこに待ち構えているのは「滅び」なのです。

 

2. 狭い門

「狭い門」とは何を意味しているのでしょうか。ここまでの説教の流れから考えると、それは「神のみこころ」なのでしょう。それに相対しているのは、パリサイ人、律法学者のことばや教えです。多くの人が何も考えずに大きな門をくぐり、流れに身を任せて広い道を歩んでいきます。しかし、イエスは神のみこころに歩むようにと教えるのです。山上の説教で語られている具体的な行いは、神の民としての生き方の勧めです。そして、神のみこころは、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」に集約されるのです。これが、狭い門であり、細い道なのです。

 

3. 細い道をともに歩まれる方

さらにイエスは「偽預言者」への注意を促しています。偽預言者かどうかは、その実を見れば分かると言うのです。真の預言者たちは、何を実としてもたらしたのでしょうか。それは神への真の礼拝と、真の悔い改めです。さらに、神への賛美と感謝、そこから生まれる自己犠牲と愛の実践ということになるでしょう。さらに究極的な実、それはイエス・キリストご自身にほかなりません。私たちは、この方を見、そしてこの方に倣うのです。狭い門、細い道には困難があります。しかし、そこにはともに歩んでくださる方がおられます。最も狭く、細い道を行かれた方、主イエスが私たちとともにその道を歩んでくださるのです。

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