2025年1月26日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書11章7節~15節「聞くべきこと」
1. 神のことば
聖書の難しさは特別な人だけが理解できる、そのようなものではありません。神がどのような方であるか、「真理」とは何かを求めて読むならば、必ず教えられる、それが聖書です。私たちが聖書を「神の語り」として耳を傾けるときに、そこから私たちは新しい生き方へと導かれていきます。
2. バプテスマのヨハネ
イエスは群衆に、さらにバプテスマのヨハネのことについて話し始められました。当時、多くの人々がヨハネに会うため、ヨルダン川を越えて荒れ地に向かいました。ヨハネはその場所で人々に教え、悔い改めを呼びかけながら洗礼を授けていました。そして大勢の人がヨハネのところへと殺到しました。イエスは「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。」と問いかけます。それは、彼らがヨハネのもとを訪れた理由を問い直すものです。ヨハネは「悔い改めなさい」と訴え、人々はその呼びかけに応じて罪を告白し、洗礼を受けました。これは「きよめ」の意味での洗礼です。彼らは律法に従えなかった自分たちの至らなさを神に告白し、赦しを願ったのです。そうすれば、神は自分たちの願いに応えてくださる、そう考えたゆえでした。
3. イエスの求めたもの
イエスはさらに「あなたがたは何を見たのか」と問います。あなたがたが見たのは、イザヤ書で預言された「救い主の道を備える者」だとイエスは説き明かしています。そしてイエスは、ヨハネを最も偉大な人物として認めながらも、「天の御国で最も小さい者でさえ、彼よりも偉大である」と語られました。天の御国で最も小さい者とは、神の前にへりくだる者のことです。イエスは、神の国に生きる新しい基準を示し、「古い罪の支配にとらわれるのではなく、神の国にふさわしい新しい生き方をするように」と求めています。神の国に生きる新たな時代はすでに来ています。神の国はすでに到来しており、それにふさわしい生き方をするために、私たちは信仰を持つのです。
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