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2025年1月5日礼拝説教

2025年1月5日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ローマ人への手紙8章32節「惜しみなく与えてくださる方」

 

1. どのような境遇にあっても

パウロは「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」(ピリピ4:11)と語っています。「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」(ピリピ4:12)とも言っています。パウロはその前に、「すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい」(ピリピ4:8)と教えています。この在り方こそ、どんな時でも満ちたりることのできる秘訣であるからです。パウロ自身何も葛藤がなかったかと言えば、そうではなかったでしょう。そこには苦しみの中でうめくような祈りがありました。パウロは手紙の中で「キリストにあって」「キリストのうちに」と多く記しています。パウロはどんな時でもイエス・キリストを思いました。そこには常に「十字架の主、復活のイエス」の姿があったのです。すべてはイエスにあって神の恵みへと変えられます。私たちは、その恵みを知るために、今のこの苦難が与えられている、そういっても言い過ぎではありません。十字架の主とともに、よみがえりのいのちに至るキリストと、その御業をなさった父なる神を、私たちは信じるのです。

 

2. 惜しみなく与えられた神に倣って

「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。」(ローマ8:32)その前にはこうあります。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」(ローマ8:31) 神は私たちの味方で、ご自分の御子さえも惜しむことなく与えてくださったのに、私たちに恵みを与えてくださらないことがあるでしょうか。私たちは今年も、キリストの十字架とそこにある恵みを味わうようにと導かれています。私たちはあらゆる苦難を前にして、キリストの十字架と復活を知る大きな恵みが備えられていると言ってもいいのです。ご自分の御子イエスを私たちに惜しみなく与えられた神は、常に私たちの味方です。そこから、私たちは日々の歩みを始めなくてはなりません。そして、この方に倣い歩ませていただきたいと願います。そのためにも、私たちはまず神に与えられた恵みを存分に味わう者とならせていただきましょう。

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