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2025年2月16日礼拝説教

2025年2月16日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書12章1節~8節「安息日の主」

 

1. 安息日の規定

安息日の規定は、旧約聖書の十戒に基づき、神が天地創造の七日目に休まれたことに起源があります。これは単なる「休み」ではなく、神を礼拝し、創造の恵みを覚える日です。レビ記では、この日を「聖なる会合の日」とし、仕事をしてはならないと定めています。イスラエルの民にとって安息日は、神への忠誠を示し、偶像礼拝をささげる他の民と区別し、真の神を示す重要な日でした。しかし、時代が移り変わるにつれて、律法の本質は失われ、本来の目的よりも規則の厳守が強調されるようになりました。

 

2. イエスと律法

パリサイ人は、イエスと弟子たちが安息日に麦の穂を摘んで食べたことを非難しました。それに対して、イエスは、ダビデが祭司以外食べてはならないパンを食べたことから、律法は人を生かすためのものであることを示しました。律法は、神の定めた教えであり、その教えを守ることによって、神を神とする在り方、生き方をあらわすものです。律法の目的は規則の順守にあるのではなく、神の愛と憐れみを表すことにあります。イエスは「人の子は安息日の主である」と宣言し、安息日にある神のみこころを回復しようとされたのです。

 

3. 安息日の主

そのことがはっきりと示される出来事が起こります。イエスは安息日に片手の萎えた人を癒し、「安息日に良いことをするのは律法にかなっている」と語られました。人間は羊よりも価値があり、神が望まれているのは「人の回復」です。イエスは、神との関係を回復し、真実の愛を示すために来られました。安息日の本質は、神との交わりと恵みに生きることです。それは日曜日の礼拝を通してなされ、さらに日々の生活において、イエスとともに歩むことによって実現するのです。

 

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