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2026年2月15日礼拝説教

  • 2月14日
  • 読了時間: 2分

2026年2月15日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書22章15節~22節「あなたは誰のものか」

 

1. 巧妙な罠

パリサイ人たちは「どのようにして、イエスをことばの罠にかけようか」と相談しました。そこには神のみこころを求める姿勢ではなく、イエスを失脚させようとする悪意がありました。ヘロデ党の者たちと共に、「カエサルに税金を納めることは律法にかなっているか」と問いかけます。彼らは神が王であると信じつつも、現実にはローマ支配の下で折り合いをつけて生きていました。おそらく彼らは、イエスが「ローマへの税金は律法にかなっている」と答えるとは、全く期待していませんでした。

 

2. 「だれの肖像か」という問い

イエスは彼らの悪意を見抜き、「税として納めるお金を見せなさい」と言われました。そしてそこに刻まれた肖像と銘について問われました。貨幣には皇帝の像と「神の子」「大祭司」という称号が刻まれていました。イエスは、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と語られます。問題は税金そのものではなく、「だれのかたちが刻まれているか」という点でした。人は神のかたちに造られています。ですから、神のかたちが刻まれている存在とは、人なのです。イエスは根本的な問いを突きつけられました。「あなたは、だれのものとして生きているのか」と。

 

3. 神のものとして生きる

聖書は、神が求めておられるのは形式的ないけにえではなく、砕かれた心であると語ります。私たちは神の像を刻まれた者として生きるよう創造されました。しかし今は、罪によってその像を曇らせてしまう現実も抱えています。そこには十字架の福音が必要です。「神のものは神に」とは美しい標語ではなく、問いかけです。もしあなたが神のものではないなら、あなたは誰のものなのでしょうか。キリストにあって取り戻された者として、私たちは自らを神にささげ、与える生き方へと招かれているのです。

 
 
 

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