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2026年2月22日礼拝説教

  • 2月23日
  • 読了時間: 2分

2026年2月22日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書22章23節~33節「生きている者の神」

 

1. 思い違い

サドカイ人たちがイエスに問いを投げかけました。しかしそれは神のみこころを求める問いではなく、試すための問いでした。彼らはすでに結論を持ち、自分たちの正しさを確認しようとしていたのです。当時、「復活」は大きな関心事でした。パリサイ人は復活を信じ、サドカイ人は否定しました。その背後には、終わりの日に秩序が逆転することへの恐れがありました。彼らはレビラト婚の律法を持ち出し、「復活の時、その女は誰の妻になるのか」と問いかけます。イエスは言われます。「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしている。」それは神を自分の枠の中で測っていることへの指摘でした。この言葉は私たちにも向けられています。

 

2. 復活は新しい創造

イエスは言われます。「復活の時には、人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。」復活は今の延長ではなく、神が新しく創造されるいのちです。さらにイエスは出エジプト記を引用し、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と語られました。神は「であった」神ではなく、「である」神です。死が契約を終わらせるのではありません。神は死を越えて約束を守られます。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。十字架も死で終わらず、復活へと至りました。ここに希望があります。

 

3. 生きている者の神を見上げて

私たちもまた、自分の願いを前提にして神を測ってはいないでしょうか。信仰とは、自分中心から神中心へと向きを変えることです。そこでは逆転が起こります。死は命へ、絶望は希望へと変えられます。人生には理不尽や悲しみがあります。しかし神は今も生きておられます。「である」神が、私たちの神でいてくださいます。この生ける神を見上げ、「思い違い」から立ち返り、新しいいのちを与えてくださる主とともに歩んでまいりましょう。

 
 
 

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