2026年2月8日礼拝説教
- 2月14日
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2026年2月8日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書22章1節~14節「招かれ、そして選び取る」
1. イエスのイメージ
私たちはそれぞれの願望をもって、イエスや神の姿を思い描きます。日本人の神観においては、とくに「優しい」「受け止めてくれる」というイメージが先行しがちです。しかし、イエスをそのような一面だけで理解しようとすると、イエスが語られた厳しさや真剣さを見落としてしまうかもしれません。聖書は、私たちの思い込みをなぞるためにあるのではなく、新たな光をもって私たちを照らすものです。このたとえは、私たちの持つイエス像とは別の方向から語っています。
2. すべての人への招きとその応答
イエスは、神の国を「王が息子のために催した婚礼の披露宴」にたとえられました。王は最初に招いた人々から拒絶され、使者は侮辱され、殺されてしまいます。その後、王は枠を広げ、良い人でも悪い人でも、出会った人を皆招きます。神の招きは、すべての人に開かれています。しかし、婚礼の礼服を着ないまま来た人が追い出されたように、その招きは、私たちの在り方を問わずに通り過ぎていくものではありません。神は愛であり、赦しに満ちた方ですが、同時に、私たちが神を神として受け止めるかどうか、生きる方向を変えるかどうかを問われる方です。
3. 「招かれる人」と「選ばれる人」
イエスはこのたとえの最後に、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」と語られました。しかし、たとえ全体を見ると、王が人を選り分けたというよりも、招かれた側が王を王として受け取ったかどうかが問われています。「選ばれる人」とは、神の招きを自分のこととして受け取り、向きを変えて応える人です。神が選んでくださったという出来事は、私たちが神の招きを選び取ることと深く結びついています。神は今日も、私たち一人ひとりを祝宴へと招いておられます。その招きを王の招きとして受け取るのか、それとも聞き流して立ち去るのか。私たちは、その問いの前に立たされているのです。



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