2023年9月24日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
へブル人への手紙12章18節~24節 「神へと近づく歩み」
1. 神に近づく
この手紙の前提は出エジプト記の出来事です。「あなたがたが近づいている」。この言葉は「神を礼拝する」と言い換えることができます。それは私たちの生涯そのものとも言えるでしょう。礼拝とは、私たち自身をささげることであり、さらには私たちの生涯そのものをささげていくことなのです。この手紙では、そのことを「競争」に例えていました。しかし、私たちは現実を前にして、私は本当に神に近づいているのだろうかと思います。かえって遠ざかっているようにも感じます。ここで手紙の著者は、「過去」つまり旧約の時代と、現在のキリストが来られた「今」を比較しています。
2. シナイ山
18~21節に語られていることは「過去」のことです。その比較は「二つの山」を用いて語られています。一つは「シナイ山」、そしてもう一つは「シオンの山」です。シナイ山は出エジプトの時に「古い契約」が与えられた場所です。「手でさわれるもの」「燃える火」「黒雲」「暗闇」「嵐」「ラッパの響き」「ことばのとどろき」これらの事柄は、出エジプト記や申命記の記述につながっています。神に近づくことは、人間の根本であるいのちや存在に関わる大切なことである一方で、それは非常に恐ろしいことなのだということが明らかにされています。神の前では、いかなる人であっても、不完全な罪人であり、死ぬべき存在であるからです。聖書は神の愛と聖さを語ると同時に、人の罪を常に意識させます。私たちは誰でも死に向かって歩みを進めています。私たちは誰もが根源的ないのちの問題を抱えているのです。
3. シオンの山
私たちの目の前にある現実は変わっていないように思います。しかし、そうではありません。神に近づく歩みは、キリストによって決定的に変えられているのです。その光景が22節以降に描かれています。シオンの山は、「生ける神の都エルサレム」の別名です。天に登録されている長子たちの教会とは、神の国の相続人となった人々の教会のことです。ここに描かれているのは、キリストが来られた後の私たちの行く先を明確に示しています。今目の前にある光景は以前と同じように見えるかもしれません。しかし、私たちは神の都へと確実に向かっています。キリストの十字架により贖われ、神の義が完成へと向かう道を私たちは歩んでいます。イエスの血は復讐ではなく、罪の赦しと神の愛を叫んでいるのです。
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