2025年5月18日礼拝説教
- mbchurch
- 3 日前
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2025年5月18日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書13章53節~58節「つまずく人々」
1. つまずいた人々
イエスは、たとえを話し終えると、ご自分の郷里であるナザレに帰り、会堂で人々に教え始められました。人々はその知恵と奇跡に驚きましたが、「この人は大工の息子ではないか」と言い、イエスを身近な存在としてしか見られず、つまずきました。この「つまずき」という表現は、この福音書に出てくる表現です。マタイ11章では「わたしにつまずかない者は幸いです」と語られ、ここでもナザレの人々の反応から、人間の思いと神の業とのずれが明らかになります。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の郷里、家族の間だけです」と言い、旧約聖書の預言者たちとご自身の姿を重ねられました。
2. イエスも経験した「拒絶」
イエスが郷里で受けたつまずきは、十字架に向かう過程で弟子たちがイエスを裏切る出来事にもつながります。また、使徒パウロも同胞のユダヤ人たちに拒絶される経験をしました。私たちも、このような経験をすることがあります。しかし、ナザレでイエスも拒絶されたことは、私たちに慰めを与えます。しかし、そこには望みも示されています。イエスの兄弟はやがて福音を受け入れ、教会のリーダーとなっていきます。すぐには見えなくても、福音の波は広がっていきます。主のご計画と御手の中で実は結ばれていくのです。
3. 偏見を捨てて
ナザレの人々がイエスにつまずいたのは、「どう聞くか」という問題でした。よく知っていると思っていたイエスが、救い主とは思えませんでした。私たちの周りにも宗教や信仰に対する偏見があります。先入観が私たちの目を曇らせてしまうのです。先に「考え」や「枠組み」を持ってしまうなら、聖書の語る本質を見落としてしまいます。私たちは、まず神に信頼し、神のことばにまっすぐに耳を傾けていくことが必要です。その弱さを、イエスは知ってくださり、ともにおられる方なのですから。
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