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2023年2月19日礼拝説教

2023年2月19日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙5章5節~10節 「祭司としての務め」


1. メルキゼデク

主イエスは私たちの大祭司です。これは慰めと励ましのことばです。ここに「メルキゼデクの例に倣い」とあります。メルキゼデクは創世記14章に登場します。この名前は「義の王」という意味を持っています。彼は神の祭司として登場し、アブラハムを祝福します。このメルキゼデクと同様に、イエスも義の王であり、神の祭司なのです。


2. 大祭司イエス

キリストは、大祭司としてどのように歩まれたのでしょうか。イエスは、私たちと同じ弱さを持つ人として来られました。そして父なる神に、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげてくださったのです。イエスはゲッセマネで祈られました。イエスは何を悩まれ祈られていたのでしょうか。それは私たちの抱えた死の現実に対してでした。イエスは十字架刑を受けます。それは私たちの犯した罪ゆえに、身代わりに罰を受けるということでした。それは父なる神との断絶を意味していました。神との関係が失われること、それは私たちが考える以上の絶望なのです。私たちは愛する人との別れを経験します。もし私たちの関係が、死によって完全に終わってしまうのならば、私たちの抱えた絶望と悲しみはあまりにも深いものです。イエスが祈られたのは、この死の運命に対しての叫びであり涙です。ここにイエスの大祭司としての姿があります。


3. イエスにある慰め

しかし、神はイエスを、死からよみがえりのいのちへ、そして完全な者へと移されました。イエスは、すべての人の救いの源となり、そして大祭司と呼ばれるに至ったのです。この方が私たちの大祭司です。私たちに与えられた望み、それはイエスにある望み、復活のいのちの望みです。

「イエスが友であるということは何とすばらしいことなのでしょうか。イエスは私たちの罪と悲しみをすべて背負ってくださいます。イエスは私たちのすべての弱さをご存知です。尊い救い主は、私たちの避難場所です。その御腕の中であなたを守り抜きます。祈りのうちに主に委ねるのです。あなたはそこに慰めを見出すことでしょう。」(「慈しみ深き」抜粋)

死も、その絶望も、そのすべてを主は受けてくださいました。大祭司イエスがいてくださり、私を理解してくださり、寄り添ってくださるのです。死だけではありません。困難、絶望、飢え、渇き、そのどこにあっても、主は私たちとともにおられ、私たちと苦しみをともにしてくださるのです。

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