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2024年4月8日礼拝説教

2024年4月7日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ルカの福音書24章13節~32節 「燃え続ける心」

 

1. エマオへの道

二人の弟子が登場します。その一人の名前はクレオパ。彼は12 弟子ではありません。彼らはエルサレムからエマオへと向かっていました。彼らは歩きながら話し合っていました。イエスは本当によみがえられたのか、そのことを論じ合っていたのです。二人のところにイエスが近づいてきて、ともに歩き始めます。しかし、彼らの目はさえぎられていて、イエスだとは分かりませんでした。イエスは彼らに話しかけます。すると彼らは暗い顔つきになって、立ち止まり、エルサレムでの出来事を話しました。それはイエスの死と復活の出来事でした。

 

2. イエスの話

するとイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされました。それでも、まだ彼らの目は開かれませんでした。彼らは目的の村の近くに着きました。そこで彼らはイエスを引き留め、食卓に着きます。イエスが目の前でパンを取り祝福し、そして裂いて彼らに渡されると、ようやくこの人はイエスなのだと分かりました。ともに食卓につき、パンを受け取ったそのときに、目の前にいる人が、彼らが求め、慕う主イエス・キリストその人だと分かったのでした。ここに信仰とは何かということが、物語られています。みことばが紐解かれる時、イスラエルを通して語られたこの世界と人の現実が明らかにされます。そしてイエスを通して与えられる神の救いを知るのです。

 

3. 私たちの話

私たちも罪と死に縛られています。先が見えない、そんな時もあるでしょう。しかし、その時にもみことばは私たちに語りかけています。神はあなたのことを知っておられ、あなたとともに歩む方がいる、と。始めは、その人が誰かは分かりません。しかし、この二人のように私たちもやがて知ることになるのです。聖餐式は、壮大な神の救いの御業である十字架を、私たちの目の前で再現するものです。すると彼らの目は開かれ、イエスだと分かりますが、その姿は見えなくなりました。しかし、最も重要なことが彼らのうちに残ります。よみがえられた方は、確かに今もともにおられるということです。彼らは、「私たちの心は内で燃えていたではないか」と分かち合いました。誰かは分からずにともに歩き、語り合ったその時に、彼らの心にはすでに火が灯されていたことを理解したのです。これは、私たちの話でもあるのです。

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