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2024年4月14日礼拝説教

2024年4月14日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書5章33節~37節 「偽りの誓いではなく」

 

1. 神のみ教え

ここでイエスは、いくつかの律法をどう解釈し、どう考えるか、つまり、律法の根底にどのような神の考えや思いがあるのかということを取り扱っています。神の視点や考え方を知り、学んでいくことは、私たちの生き方、歩み方そのものを学んでいくことにもなります。ここでは「誓い」について取り上げています。この時代ユダヤ人たちは「誓う」ということをよくしていました。ユダヤ人は神と契約を結んでいると自覚していた人々です。それゆえに「誓う」ということはとても大切なことでした。誓いが偽りであった場合、それは神の御名を汚してしまうということにもなりました。

 

2. 偽りの誓い

「誓い」はイエスの時代にはどのようになっていったのでしょうか。彼らは「神の御名」以外の誓いというものを生み出します。私たちから見ればばかげたことのように見えます。しかし、彼らは「誓い」を果たすことについての「正しさ」を考えたのです。その正しさは、いつの間にか、神の思いや考えを無視する結果となってしまいます。表面的な正しさに固執してしまったのです。今でも同様のことが起きています。私たちは、すぐに「これが正しい」「あれは間違い」と考えてしまうのです。

 

3. キリストの答え

主イエスは「あなたがたは、決して誓ってはならない」と教えられました。それは「あなたがたがしている方法で、誓ってはならない」という意味です。では、どうするのでしょうか。イエスは、「『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい」と言われました。ただ形だけの誓いになっているのであれば、その誓いはやめて、あなたの真実なところで行いなさいと教えられたのです。これは今の時代にも失われない新しい教えです。主イエスは第三の道を私たちに提示します。それは、特定の民族や伝統に基づくものではありません。父なる神のみ思いに立つことを教えてくださったのです。最も気を付けなくてはならないことは、人の前でのことではなく、神の前に偽ることです。私たちは神の前に、正直に、弱さも、誇るところも、すべてを差し出してまいりましょう。

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