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2023年7月16日礼拝説教

2023年7月16日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙11章1節~6節 「この信仰がなければ」


1. 信仰

信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるもの。信仰の定義のような言葉です。ここで語られている「信仰」とは、「信心」のことではありません。この信仰とは、キリストにある信仰です。また主イエスに見られる信仰ということでもあるでしょう。私たちの信じる神は創造主なる神です。この世界をつくられ、そこにご自身の栄光を表わされた神。私たち人をご自身の代理者としてこの世界に置き、世界に祝福を与えようとされている神。そして何より私たちを愛し、それゆえに主イエスを遣わし、私たちの罪を贖い、神の国の完成へと向かわれる神です。この神を信じる信仰。それは、神の望まれていることが実現し、まだ見ぬ神の国の到来を確信させるものです。


2. 聖書の示す神

ここで記される信仰は、聖書の示す神へのものです。昔の人たち、それは、直接的には旧約聖書に登場するイスラエルの人々を指しています。彼らはこの神を信じる信仰によって称賛されました。また、ここでは創世記の出来事が意識されています。神のことばによって、この世界は創造されました。つまり、この世界には、神の意志が反映されており、神の思いが込められています。私たちの存在とこの世界は、神抜きにしては語ることができません。万物の存在の目的、理由は、すべてこの方によって成り立っているのです。「目に見えるものが、目に見えない神によって存在している」これは科学的な説明とは異なります。人間はその中でも特別な存在です。私をつくられた神を信じる、それがこの信仰の出発点なのです。


3. 創世記の人々

アベルが取り上げられています。神が目を留められたのは、最上のものを最初に取り分けたアベルの信仰です。彼の信仰はその死を越えて生きて働いている、そのようにこの手紙は語っています。エノクも創世記に登場する人物です。エノクは「神とともに歩んだ」ゆえに、神は彼を喜ばれました。この神への信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。またこの信仰がなければ、自分の存在の意義も意味もわからないということでもあるでしょう。神に近づく、それは礼拝と言い換えられます。神を礼拝する者は、神がおられること、そして神を求める者に報いてくださる、そのことを信じなければなりません。またその信仰に神は応えてくださるのです。

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