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2024年5月5日礼拝説教

2024年5月5日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書6章5節~8節 「奥まった部屋での祈り」

 

1. 祈りについて

祈りについて、イエスはどのようなことを語ったのでしょうか。ここでイエスはある「祈り」に関して、批判的に語られました。それは偽善者たちの祈りです。周囲の人から、祈っていることがわかるように、会堂や大通りの角に立って祈っていた人が当時いました。彼らは義人であることを証明するための善行としての祈りを実践していました。祈りは本来、神に向かうべきであるのに、人の前で祈ることが意識の中心となっていました。イエスはここで、人の前でのすべての祈りを否定しているのではありません。私たちの意識を、もっとも重要なことに向くように導かれているのです。

 

2. 奥まった部屋

「祈る時は、家の奥の自分の部屋で祈りなさい。」この言葉が示しているのは、「祈り」はあなたの心を神の前に明らかにすることである、ということでしょう。あなたの心のすべてを、神の前に注ぎだすこと、それが祈りの本質なのです。「奥まった部屋」を私たちは持っているでしょうか。ここでイエスが言っているのは、完全に人の目を遮断する場所ということでしょう。奥まった部屋でひざまずき、ひれ伏し、神に祈る…それは、今、私の前に全知全能の神がいる、という態度に他なりません。そこでの祈りは、他者の目から解放された祈りです。私たちはそのような密室の祈りをささげる必要があります。その祈りが基本となり、神との関係が色濃く出るところとなるのです。

 

3. 繰り返しの祈り

祈るときに同じ言葉をただ繰り返す、これはどんな祈りであったのでしょうか。ただ呪文のように同じ言葉を唱えたり、同じ内容のお願いを繰り返したり、そのような祈りが教会の中でも起きています。私たちは、祈りの文言や内容を、もう一度考えなおす必要があります。人格的な神との関係をイエスは問われています。私たちが祈る相手は、私たちと心を通わせる人格を持った神、生ける神なのです。また、神は「あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられ」ます。すべてを知っておられるからこそ、安心して、願い、心を注ぎだすことができるお方なのです。しかし、祈りがなかなか聞かれないということもあります。しかし、それさえも、神が私たちの願いを知っておられる上でのことなのです。神を信頼して待つことは、人格的で、信仰的な行為です。そのような祈り、そのような関係を主なる神と築いてまいりましょう。

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