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2023年9月10日礼拝説教

2023年9月10日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

へブル人への手紙12章4節~11節 「父の訓練」



1. 主の訓練

「訓練」とは、「懲らしめ」また「しつけ」とも訳されます。肉体的にも精神的にも傷が残るようなしつけは、気を付けるべきです。その一方で、痛みを経験せずに成長することも、健全な成長を考えるとバランスが悪いでしょう。私たちは、しばしば苦しみや痛みを通らされます。日本では「訓練」と聞くと、ただ長時間に渡り肉体を酷使し、精神を鍛える、そのようなことをイメージしがちです。しかし、大切なことは目的をもってトレーニングをすることです。それは「信仰の訓練」にも当てはまります。私たちの歩みの中で起こる試練について、この手紙は「主の訓練」であると教えています。私たちは「愛する子」として、父なる神からの訓練を受けているというのです。


2. 訓練の目的

この訓練は、神の聖さにあずからせようとして与えた訓練であるとあります。またその訓練は、そのときには喜ばしいものではなく、苦しく思えるものです。しかし、それを乗り越えた後、訓練によって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせるのだと記されています。では、この訓練の目的とは何でしょうか。ここでは信仰の生涯を「競技」に例えていました。訓練の目的はレースを完走することであり、その先にある神の栄冠を得ることにあります。これは他者と競い合うレースではありません。これは神にある生涯を全うする、そのための訓練です。ゴールは「神の国」です。しかし、私たちの罪と弱さゆえに、そのゴールをすぐに見失ってしまいます。それでも、神はあきらめずに私たちに関わり、訓練し、また時に慰め、休息を与えてくださるのです。


3. 主にあって受け止めるということ

「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。」罪とは主に偶像礼拝に関することです。この手紙の時代には厳しい現実がありました。実際に迫害を受けるということは、歴史の中で繰り返し起きた出来事です。この手紙では、そのことさえも訓練であると受け止め、耐え忍ぶようにと勧めています。そのような力強さが、このみことばにはあるのです。神の壮大なご計画、神の国へと至る物語の中に、私たち一人一人の生涯は位置付けられています。それぞれに通らされる信仰の訓練を通して、私たちは成長し、神のご栄光が表されます。今、あなたの前に試練があるでしょうか。教会も苦難を通らされます。しかし、それは主の訓練であると、ともに受け止めさせていただきましょう。

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