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2022年5月15日礼拝説教

2022年5月15日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

ヤコブの手紙5章7節~11節 「主の御声に強められて」


1. 耐え忍ぶ

耐え忍ぶということは我慢するということなのでしょうか。ここでヤコブは農夫たちの姿を見るようにと促します。パレスチナ地方では「雨季」に地面は柔らかくなり、そこを耕して種をまきます。この雨を「先の雨」と言います。その後、春の収穫時期が近づくと穀物を十分に実らせるために大雨が降ります。この雨を「後の雨」と言います。農民たちはこの期間、草取りをし、くわ入れをし、肥料をまき、作物を実らせるための働きを惜しみなくします。しかし農夫たちもできないことがありました。それは雨を降らせ、十分な日光を与えることです。その農民たちと同様に、私たちも収穫の時を待ち望んでいるのです。


2. 預言者たち

主の日が近づいているゆえに、互いに文句を言い合うのはやめなさいと勧められています。ここにもキリスト者のあり方が示されています。ヤコブは模範として預言者たちの姿を示します。旧約の預言者たちは、イスラエルの民が神から離れていたゆえに悔い改めを語ります。彼らが神にある救いと望みを得るために預言者は遣わされました。預言者たちは人々の反発を受けますが、彼らは粘り強く語り続けました。その姿をヤコブは教会に重ね合わせています。預言者たちはなぜ忍耐できたのでしょうか。それは預言者たちのイスラエルへの愛ゆえであり、またその先にある神の希望ゆえです。彼らの忍耐とは、主に与えられたことばをどんな時でも語り続けたことであり、また神にある救いに望みを置き続けたことなのです。


3. ヨブの忍耐

さらにヨブの忍耐が語られます。それは理不尽としかいいようのない現実を前にした信仰者の姿です。ヨブにとっての真の幸いは二倍の祝福を得たことではありません。彼の幸いは神を知り、神に知られていたことでした。主は与え、主は取られる、それでも主は幸いである、そのことばが真実であるとの信仰をヨブは得たのです。ヨブの忍耐は、主イエスの忍耐へと確かに結ばれています。私たちも「心を強くせよ」と語られる主の御声を聞き続けてまいりましょう。

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