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2026年1月25日礼拝説教

  • mbchurch
  • 1月24日
  • 読了時間: 2分

2026年1月25日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書21章23節~32節「思い直し、出かけて行くということ」

 

1. 祭司長と長老の問い

イエスが宮で教えておられると、祭司長と民の長老たちが来て、「何の権威によって、これらのことをしているのですか」と問いかけました。宮きよめと教えは、人々に大きな衝撃を与えていました。彼らは神殿と民を守るために立てられた公的な指導者であり、政治的にも宗教的にも「権威側」にいる人々でした。だからこそ「誰の許しで、誰の後ろ盾で」と確認しようとしたのです。しかし聖書が示すのは、人間が神を論じて決めるのではなく、神がご自身を啓示されるということです。その中心にイエス・キリストがおられます。私たちはまず、聖書とイエスのことばに聞く者として立てられます。

 

2. イエスの問い

イエスは問いに直接答えず、「ヨハネのバプテスマはどこから来たのですか。天からですか、それとも人からですか」と逆に問われました。彼らは群衆が怖いか、自分たちの立場がどうなるかを計算し始めます。そして結局「分かりません」と答えました。どちらを選んでも得にならないからです。ここで明らかになるのは、彼らが真理を求めているのではなく、自分たちの権威を守ろうとしている姿でした。

 

3. 「思い直し、出かけて行く」

そこでイエスは二人の息子のたとえを語られました。兄は最初「行きたくありません」と言いましたが、後になって思い直して出かけて行きました。弟は「行きます」と答えましたが、行きませんでした。父の願いを行ったのは兄でした。イエスは、取税人や遊女が先に神の国に入ると言われます。「信じる」とは言葉だけではなく、心の向きを変えて行動することだからです。そして私たちも問われます。「あなたは何の権威によって生きているのですか」と。イエス・キリストは、すぐに悔い改められない私たちのために十字架で神の裁きを引き受けてくださいました。だからこそ私たちは、今、思い直して神のもとへ出かけて行くことができるのです。

 
 
 

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