2026年2月1日礼拝説教
- mbchurch
- 2 日前
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2026年2月1日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書21章33節~46節「もう一つのたとえ」
1. ぶどう園の主人と農夫たち
イエスは、もう一つのたとえを語られました。主人は、垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建てた立派なぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して旅に出ます。収穫の時になると、主人はしもべを遣わしますが、農夫たちはしもべを打ち、殺してしまいました。さらに遣わされたしもべたちも同じ目に遭います。最後に主人は、自分の息子なら敬ってくれるだろうと考え、息子を遣わしました。しかし農夫たちは、跡取りである息子を殺し、相続財産を奪おうとしました。このたとえは、神がイスラエルに託された恵みと責任、そしてそれに背いてきた人の姿を描いています。
2. 捨てられた石と神の国
たとえを聞いた祭司長や長老たちは、農夫たちは滅ぼされ、ぶどう園は別の者に任されると答えました。するとイエスは、詩篇118 篇の「捨てられた石が要の石となった」というみことばを引用しました。この石は、人々に拒まれたイエスご自身を指しています。さらにダニエル書には、人の手によらない石が人間の王国を打ち砕き、神の国が全地を満たすことが示されています。イエスは、神の国が、自分を主人とし、実を結ばない者たちから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられると語られました。
3. 砕かれることと救い
イエスは、「この石の上に落ちる人は砕かれ、この石が人の上に落ちれば押しつぶされる」と語られました。これは、イエスにつまずき、拒み続ける人の姿を示す厳しいことばです。しかし、聖書が語る「砕かれること」は、滅びではなく、神の前に自分を差し出すことでもあります。詩篇は、砕かれた心を神は退けないと語ります。私たちは砕かれやすい土の器でありたいのです。その中に神はご自身の光を宿してくださいます。砕かれることは終わりではなく、神によって新しく造り直される始まりです。私たちは今、拒み続ける者としてではなく、砕かれて神により頼む者として招かれているのです。





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