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2026年1月18日礼拝説教

  • mbchurch
  • 1月18日
  • 読了時間: 2分

2026年1月18日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マタイの福音書21章10節~22節「山を動かす信仰」


1. 「この人はだれなのか」という問い

イエスがエルサレムに入られると、都の人々は「この人はだれなのか」と問いかけました。群衆はイエスを「ガリラヤのナザレから出た預言者」と答えます。「ダビデの子」と迎えながらも、あえて「預言者」と呼ぶその言葉には、期待と同時に慎重さがありました。都にはすでに緊張感が漂っていました。この問いは、当時の人々だけでなく、今を生きる私たちにも向けられています。私たちはイエスをだれとして受け止めているのでしょうか。

 

2. 宮きよめと子どもたちの賛美

イエスはエルサレムに着くとすぐに神殿に入り、売買をしていた者たちを追い出されました。これは神殿を本来の姿である「祈りの家」として回復するための行為でした。異邦人が祈るための場所が商売の場となっていたことは、神の願いとは大きくかけ離れていました。宮が正されると、目の見えない人や足の不自由な人が癒やされ、子どもたちの賛美が響きます。しかし祭司長や律法学者たちはそれを喜ばず、反発しました。イエスは詩篇8 篇を引用し、神は強い者ではなく、弱く小さな者を用いてご自身の栄光を現されることを示されました。これは彼らへの鋭い問いかけでもありました。

 

3. いちじくの木と山を動かす信仰

続いて語られる、実を結ばないいちじくの木が枯れる出来事は、一見理不尽に思えます。しかしこの出来事は、外側は整っていながら祈りと愛の実を失っていた宮の姿と重なっています。その後、イエスは弟子たちに、信じて疑わずに祈るなら山さえ動くと語られました。これは、十字架に示された神の御心に信頼して祈るとき、神ご自身が働かれるという約束です。山はすでに、イエスが十字架に架かられたことによって動かされました。私たちは今、その恵みの中で、葉ばかりの信仰ではなく、愛の実を結ぶ信仰を与えてくださいと祈るよう招かれているのです。

 
 
 

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