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2022年9月11日礼拝説教

2022年9月11日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新

マルコの福音書2章18節~22節 「古い皮袋を捨てて」


1. パリサイ人

なぜパリサイ人は断食をしていたのでしょうか。彼らは律法を基盤とし、日常生活で実践することを掲げていました。それがイスラエルを回復させ、神の救いへと導くのだと考えていたからです。彼らは月曜日と木曜日に断食をしていました。このような断食は夜明けから夕暮れまでの断食です。これは義務ではありませんが、宗教的な誓約に関する前提と考えられています。つまり断食をすることによって、神が義人の祈りを聞いてくださるだろう、という考え方です。


2. 花婿と友人

パリサイ人は断食を実践していました。しかし、イエスの弟子たちは彼らのような断食をしていません。なぜ弟子たちは断食しないのかという問いに、イエスは婚礼の場面から答えました。イエスがともにいる今は祝宴の時であり、神の救いを求めて断食する必要はないと教えたのです。では私たちにとってはどうなるのでしょうか。今イエスは目の前にいません。しかし、イエスは弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる」と教えられました。私たちは今、神の国がすでに到来しつつある時を歩んでいます。救い主が来られ、神の国の完成へと歩みを進めているのです。救いを引き出すような断食は必要ありません。神の国の完成へと向かう歩みにおいて、教会は苦難を通らされます。しかしそれは救い主のいない、希望のない歩みでは決してありません。新しい時を私たちは歩んでいるのです。


3. 新しい皮袋

このイエスのことばにあって、私たちのあり方はどのように変えられるのでしょうか。そのことをイエスは新しい皮袋のたとえによって教えています。私たちはもう以前の古い考えに捕らわれてはいけません。神から救いを引き出すために正しいことをする、そのような考えは、イエスとともに歩む者にはふさわしくありません。神の愛を私たちは疑わなくてよいのです。それでも私たちは古い皮袋を大切にしてしまいます。だからこそ私たちは今がどのような時であるかを、はっきりと意識しなくてはなりません。イエスによって罪赦され、神の国がやがて完成し、神の栄光をほめたたえるその時が来る、その望みが私たちに与えられています。花婿が取り去られたかのように思う時があったとしても、すぐそばに花婿なる主イエスがいる、その信仰に立ってまいりましょう。

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