2026年3月22日礼拝説教
- 3月28日
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2026年3月22日の礼拝メッセージの要約です。説教者:倉嶋新
マタイの福音書23章13節~24節「私たちの上にあるもの」
1. 本質を見失った信仰
イエスは律法学者たちとパリサイ人に「わざわいだ」と語られました。しかしそれは、ただの怒りではなく、彼らへの深い嘆きのことばです。彼らは本来、人々を神へ導くはずの存在でした。ところが実際には、自分たちも御国に入らず、入ろうとする人々をも妨げていました。異邦人を受け入れること自体は良いことですが、その人々を神へ導くのではなく、自分たちと同じ在り方、自分たちの基準へと従わせていました。神に向かうはずの信仰が、人に向かうものへとすり替わってしまっていたのです。
2. 神よりも上に置かれるもの
さらにイエスは、誓いに関する彼らの考え方を取り上げられました。神殿にかけて誓うなら拘束力はないが、神殿の黄金にかけて誓うなら守らねばならない。祭壇よりも供え物の方が重い、という考え方です。しかしイエスは、それは本質を見失った考えだと言われます。黄金は神殿があるから意味を持ち、供え物は祭壇があるから聖なるものとなる。さらに言えば、そのすべては神に結びついている。彼らは神ではなく、目に見えて分かりやすいものを上に置いてしまったのです。問題は誓いそのものではなく、彼らの上に神が置かれていなかったことでした。
3. 上にあるものを求めて歩む
これは彼らだけの問題ではありません。私たちもまた、自分の正しさや都合、人の評価や権威、目の前の成果や報酬を、神より上に置いてしまうのです。しかし聖書は、私たちの上にあるのはただ神だけだと教えます。イエスは続けて、ミントやイノンドやクミンの十分の一は守っていても、より重い「正義とあわれみと誠実」をおろそかにしていると指摘されました。私たちは形式だけではなく、心から神に信頼して生きることへと招かれています。私たちの上にあるのは、ただ神のみです。その神の前に、正義とあわれみと誠実をもって、歩み出してまいりましょう。



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